小林はり・きゅう院「きらく」のチラシを見た人に「宗教くさい感じがしますよね」と言われた。実はチラシばかりではなく、面と向かって「小林さんて何か宗教やっているの?」と聞かれたこともある。やたらと愛想よく挨拶するかららしいのだが、そのときは「田舎育ちだから、たんに人がいいだけなの」と言ったら頷かれてしまったが、ほかにも宗教くささを感じさせているらしいようなことはよく言われる。
私の生まれたところは長野の山の中で100軒ほどの小さな集落です。私の家の隣は神主さんの家で、隣の隣は神社です。生まれたときから死ぬまですべての祭事はその神社と小さな祠で済んでしまうという便利なところです。しかも仏教から嫁いで来た母に言わせればお金もかからないそうです。
いろいろな祭り事がありますが、皆で集まっては何かをするというようなもので、うまく交流が出来る仕組みが出来ています。
そんな集落のはずれにバイブルキャンプと言うのがありました、軽井沢(教会が多い)からの流れで出来たものだと聞いたことがありますが、キリスト教のプロテスタントの牧師さん夫婦が住んでいました。ある日突然子ども達が集められその牧師さんの話を聞いたことがあります。昨年のクリスマス近くに、「キリスト教から影響を受けていることってない?」と聞かれて、一番最初に聞いた宗教の話であろう、そのときの話と、そのときの情景まで久しぶりに思い出してしまいました。
その話は「イエスは悪いことをした人たちの中にも普通に“こんばんは”と入っていった」と言うような話だった。その話に深く感動したのか?見たこともないきれいなカードに感動したのか?私は日曜学校にせっせと通うようになっていった。
初物が取れたとき、困ったことがあったとき、正月など神社におまいりしたり、みんなで集まって祭りをしたりするのは1年の間にごく普通に組み込まれている行事なのだ。そんな中で突然キリスト教と言う宗教に通い始めて、祖父は快く思っていなかったらしい。ある日私にか、母にか、何か言ったことを覚えている、母が「単なる遊びなんだから」と言うようなことを祖父に話して納まった。話を聞いたり、催し物を企画したりバス旅行なんかにも連れて行ってもらった。あるとき友達関係で悩んでいた事を私は一緒に悩んでいる友達に、牧師さんに相談してみようよと提案した。彼女たちは「どうせ仲良くしなさいと言うだけだよ」と言った。私は人を読んでいる彼女たちの態度に大人っぽさを感じてびっくりした。確かにそうかも!学校の忙しさもあり、なんとなく日曜学校には行かなくなってしまった。
でもこんな事を書く前に書かなければならないことがあった私の名前の“けさみ”のけさは生まれたときにへその緒を巻いていたからで、お坊さんの袈裟に似ているからけさとつけると幸せになるという言い伝えがあるからなのだ(と言うことで納得していたが書いているうちに諏訪神社と言うところが仕切っている小さな村に何で突然仏教の言い伝えが出てくるのだろう?)そんなこととは別に私には神なり、仏なり、いてくれないと困る事情がたくさんある。食い物を腐らせた時、花が枯れてしまっつた時、買っていたペットが死んでしまったとき、ぐわいの悪いとき、困ったことがあったとき「ああ神様」と言わずにはいられない!
やっぱり宗教くさいかしら?
◆2003.02.21/バックナンバー目次へ戻る